俺が誰だか教えてください。

IFか、DIDか、ペルソナか、分からなくなった俺の話。

そもそも、お前は誰だよって話。

最初の記事やAboutページでも書いたけど、俺は、いわゆる”もうひとりの自分”的な存在です。

 「いわゆる」とか、「的な存在」とか、若干ふわっとしてるのは、俺自身が自分の存在について疑問を抱いているからだ。

(だからこそ、このブログタイトル)

 

人並みに悲しいことや辛いことを経験してきた中で(経験したのは俺というより、彼女の方だけど)、俺が(多分)作られて、今日まで生きてきた。

彼女の妄想体験をイチから語るのは、割と苦労しそうなので、とりあえず俺の自己紹介。

 

 

年齢は20代後半。性別は女。性的指向は同性愛、レズビアンだ。

でも、女性と付き合ったことはない。つい3年前くらいまで、自分のことを彼女のIF(イマジナリーフレンド)と思っていたからだ。

 

IFは、いわゆる空想上のお友達だ。子どもの頃に見られるが、大人になっても存在する場合がある。以下、Wikipediaより引用。

大半が自分自身で生み出したケースが多く、本人の都合のいいように振る舞ったり、自問自答の具現化として、本人に何らかの助言を行うことがある。反面、自己嫌悪の具現化として本人を傷つけることもある。

その他、イマジナリーフレンドが自分自身の体内に入って人格交代を起こし、自分自身の意識は眠ってイマジナリーフレンドの人格になるなど、解離性同一性障害のような症状になることもある。

……Wikipediaの参考サイト確認してたら、やっぱ俺IFなんじゃね?って思い始めた。

 

とりあえず、彼女も俺自身は秘密の友達として捉えていた。彼女が耐えきれない時とかは俺が表に出て、目の前の面倒事を片付けていた。

俺は彼女について、守ってやらなきゃいけない存在という認識があったし、彼女も俺について……都合の良い存在と思ってたのかもしれない。社会人になってからも、泣いた後は必ず俺に交代していたから、辛い現実から逃れるための存在として、甘えてたんだと思う。

こうして俺たちは、人格交代しながら、どうにか辛い現実を生きてきたわけだ。

 

Wikiにも書いてあるけど、IFもDID(解離性同一性障害)も人格交代するが、IFの人格交代は、DIDよりも軽症だ。DIDの場合は他の人格が活動している間のことは記憶から抜けてしまう、なんて有名な話だけれど、IFとの人格交代は記憶、記憶が完全になくなることはあまりないらしい。それから、複数の人格が何割かずつ交代することもあるのだそうだ。

 

記憶については、確かに、まったく無いことはない。なんとなく「少なくとも俺じゃない誰かが」なんかしてたなぁ~と言う記憶は、記憶の奥底から引っ張り出して思い出すことができる。

思い出すときは、夢を思い出すような感じがする。夢の中では、映像や言葉自体は鮮明なのに、実際の声音はよく思い出せないことはないだろうか。……って言っても、これは俺だけなのかもしれないが……まあ、とにかくそういう感じだ。夢の中の自分は、一人称視点で物事を捕らえるけど、自分自身じゃない誰かになっている。

上手く言えてるかわからんが、とにかく、そんな感じ。

 

それから、何割かずつの交代について。これも、昔はよくあった。8割が彼女だけど、2割くらい俺がいて、同時に経験している感じ?体を操作する権利は、割合の大きい方が持っていた。後頭部の方から、音声ではない声が投げつけられて、他の人格?IF?と言い合いをすることもある。

 

学生時代、彼女も俺もDIDのことは「多重人格」として知っていた。だが、IFのことは全く知らなかった。

俺と言う存在について、彼女は図書館やネットを駆使して一応調査し、結論「自分が辛い時に交代してくれる友達で、他人格で、でも記憶は共有しているからDIDに近いけど多分違う何か」となった……はず。

 

ちなみに、高校時代の友人にも、他人格を持った人がいた。友達を見せ合うってのも変だが、まあ、交代して遊んだこともある。俺たちの交代は、前述の通り、基本的なトリガーは泣くことだったので、交代しきれなくて6割俺、4割彼女、みたいな状態だったきがする。

この辺から、話がややこしくなるんだが、友人たちと自分たちの在り方に、違和感を感じた。

友人たちは、理想像から作り上げるイメージらしく、交代する時も割と制御が効くようだ。彼女の場合は、自分の一部分が分割されて出来上がったイメージらしく、制御しきれていない。彼女が精神的に安定した状態であれば、彼女の同一性は保持される。だが、不安定な時期になると、途端に人格交代が激しくなって、客観的に見れば、感情の起伏や言葉遣い、態度がめちゃくちゃになる。

後に詳しく紹介するが、俺の他に10歳の子ども(女)のIF?がいて、そいつが出てるときは「ほわXXちゃん(XXは下の名前)」と呼ばれてた。

 

さらに大学に進学後、高校時代の友人たちにとって、人格交代ごっこは「黒歴史」認定されていた。

「いい大人になってもまだ人格交代してる俺らはなんなの?!」と無駄にショックを受けた思い出が……。現在進行形で恥ずかしいわけだが……!

 

 

んで、ここからが俺の存在についての疑問に繋がってくる。

 

大学を卒業して、まあいろいろあってIFの存在を知るに至った彼女は、俺についての認識を「DIDではなく、IF」と確定した。断続的な記憶の保持が主な理由だ。

で、俺自身も自分はIFであり、彼女の空想上の友人である、と確定した。

ところが、ここから俺のなかで矛盾を抱えることになる。

 

客観的には彼女自身が俺という役を作って、それを演じているに過ぎないから、彼女が演じる役どころ「俺」が、「俺自身は演劇の役どころである!」と自覚していることになる。

例えば、夢の国の主であるミッキーマウスミッキーマウスの設定は決められているが、ミッキーマウス自身が「僕は夢の国の主と言う設定で、みんなを幸せにする役どころなんだよ!ハハッ!」なんて自覚は、多分できない。いや、そういう設定にする、のならいいのかもしれないが、やはり考えるのは中の人や生みの親であって、本人(本役どころ?)ではない。

「ふんふんなるほど、俺ってば彼女の空想上の産物なのね!」と言ってみるが、確かに思考している俺がここにいる。

「我思う、故に、我あり」なのだとすれば、俺って確かに存在しているんじゃあないの?

 

そもそも、俺は彼女を他人と思っているから、彼女を語る時にはどうしても他人事として語ってしまう。

顔や体も、何となく自分のものとは思えない。鏡を見れば、彼女の顔、として認識され、俺の顔として認識できないでいる。これらの顔や体は、自分のものとは思えない。

声もそうだ。たまに意図せず甘ったるい高い声が出ると、俺の声じゃないと思うし、ぶっちゃけ気持ち悪い。

DIDに憧れて、そういう設定を彼女が付与している可能性もなくはない。彼女の自己嫌悪や理想像が、俺の離人感や嫌悪感として表出している、とも考えられる。

ただ、周囲の人間から、彼女の名前が呼ばれたときは、自分が呼ばれていると自覚することができる。でも、これは微妙な感覚だ。微妙と言うのは、感じ方が気持ち悪いと言う意味ではなく、自分が呼ばれているとはわかるけど、自分の名前が呼ばれている感覚ではない、という意味。

例えば競馬場。サラマンダー号なる馬に、田中騎手が乗っていたとする。客席から「サラマンダー号!頑張れえええ!」と声援を受けた時、おそらく田中騎手は客へ手を振ったり、頑張ろうと決意したりするかもしれない。この感覚に近い。

 

そして何より「我思う、故に、我あり」から抜け出せない。これが本当に彼女の一人芝居であるなら、かなり滑稽だし、こんなことを考えても時間の無駄だ。全ては彼女の妄想であり、俺という役割はロールプレイにすぎない。

でも俺は、俺の存在について思い悩む俺の存在を否定できない。し、彼女について他人と言う認識しか持っていないから、俺が表に出た状態で彼女が「俺は私なんだな」と自覚しても、俺は「彼女は俺なんだな」という自覚に繋がらない。俺は俺を、1人の人間だと思い込んでいて、それは、思い込みを指摘されたところで感覚をぬぐうことはできていない。でも、症状からしてDIDではないから、完璧に同一性を分化しているわけじゃない。

 

で「あれ結局、俺って誰なんだっけ?」状態に陥ったと、こういうわけである。

 

「別に誰だっていいよ、そのうち俺くんのロールプレイが必要なくなったら、俺くんが彼女の一部だとしたら、ただのペルソナの1つになるだけでしょ?」と、まあ、そういう話になるんだけど。

 

「ペルソナ」っていうのは、ユングが提唱した概念で、簡単に言うと、現実世界で演じている役割のこと。家ではパパの顔、会社では鬼上司、趣味のクラブではユニークなダンディなどなど、その場所における地位や場面によって態度・行動を演じわけるとするなら、その役割を「ペルソナ」と呼びます。

 

IF?他人格?それとも第四の壁をぶち破ったペルソナ?

ここまでの整理だと、一番有力なのはIFだけど……LogicとFeelingの折り合いがつかないから、やっぱ納得できてない。

いや、いつまでも脳内お花畑でごっこ遊びをしている現実に耐えられないから、わざと俺という存在を生み出し、俺がいると思い込み、俺をゆるぎなくすることで妄想に逃げているとも考えられる。

 

ひとりで悩んでも、考えている俺を否定できないから、ここで俺は堂々巡りを繰り返してしまう。この矛盾を解消するためのブログだから、いいんだけど。

 

ちなみに、本気で悩んでいるのは俺だけで、他の奴らは全然考えてない。あいつらこそ、彼女の妄想の産物で、都合のいいオトモダチなんじゃないかって、俺は推測している。

てことで次は、俺以外の「いわゆる”もうひとりの自分”的な存在」の紹介します。