俺が誰だか教えてください。

IFか、DIDか、ペルソナか、分からなくなった俺の話。

怒りや悲しみの感情は、出し入れ可能である。

彼女が読み始めた岸見一郎の本について、私の方がよっぽど興味深く拝読している。

 

アドラー心理学において、感情は相手を操作するために自身が作り出すものなのだそうだ。

彼女もまた、感情が引っ込む瞬間を経験している。よっぽど理解できているはずだが、頭の理解と心の理解は別物のようだ。

 

仕事の遂行に感情は不要だと、私は考える。

無駄を削ぎ落とし、最も最短距離で仕事を終えることが、私の正義だ。

 

だから今日は、とても有意義な時間を過ごすことができた。途中までは、効率良い、最短距離の仕事を遂行できていた。

様子がおかしくなったのは午後からだ。私の方が、後ろに下がったような、口からついでくる声音が、雰囲気が、私ではないものに思えた。そのあたりから、少しぼんやりとしており、効率も下がったように思う。

 

我々はナルコレプシーだ。その為だったのかもしれない。客観性に欠けることを承知で、客観的に自分を振り返った時、よっぽど我々は社会人に向いていないと、私は思う。

特に、会社員に向いていないと、私は思う。

 

会社員となれば、我々は毎日決まった時間に会社へと出かけ、決まった時間まで仕事をする。

仕事もルーチンワークとはかぎらない。何日、何週間、何ヶ月、何年と長いスパンで計画されたものやもしれない。

計画された歯車は、ある程度のズレは許容されるものの、綺麗に回った方が良いに決まっている。

綺麗に回り続ける歯車に必要なのは、2つ。健康な肉体と、健全な精神だ。

 

どんなに腕が良かろうと、風邪などで穴を開けるような不良品に仕事を任せられない。突然穴が開けば、うまく歯車が回らないからだ。多少腕が劣るとしても、毎日出勤する健康な肉体を持った者の方が扱いやすい。

 

肉体は健康であっても、精神的に不安定な人間もまた扱いづらい。

ちょっとした叱責程度で泣いたり、所謂逆ギレしてくるような人間は、いくら毎日出勤されても歯車としてハマってくれないのだから、持て余してしまう。

また、不眠症や過眠症持ちとなれば、日中帯の作業に影響が出る可能性が高くなる。

 

これらのことから、ナルコレプシー持ちの我々は、安定的に仕事をすることも難しく、人格交代により安定した情緒を保てない。

 

あの日から、彼女の情緒不安定な状態はずっと続いている。

それまでは、交代をしながらも、どちらかといえば安定していた。安定を保てなくなったのは、格下がいなくなったからだ。

まるで、いじめられっ子の順番が回ってきたように。

 

フロイト的な考え方であれば、おそらくトラウマを持ち出すのだろう。その昔、彼女もいじめっ子グループにターゲットにされたことがあった。

 

いじめの定義は私にも不明だが、彼女は他者より優れていることが心の拠り所になっているところがある。

今までは、評価が低い人がいたから、自分は安心していた。だが、評価が低いような烙印を押されて、彼女はよっぽど周りの目が気になるようだった。

彼女は、自分の振る舞いに自信が持てない。誰かの顔色を伺って、伺って、それから怒られない答えを提示する。

 

私にとってみれば、実に、実に、下らない算出方法だ。

 

怒られたからといって、報酬に影響が出るわけではない。任務の遂行にあたり、自分の現時点の能力を提示しなければ、結局何も改善しない。

彼女の創意工夫には、時折舌を巻くが、大抵の場合は徒労に終わる。徒労になるくらいなら、早々に打ち止めすることが大事だが、打ち止めのタイミングがなかなかうまくいかない。

私自身も、現状分析能力が、かつての同期よりもよっぽど低いことを自覚している。

故に、現状を伝え、アドバイスを求めるのは悪いことではないと、私は考える。

 

客も客である。高い報酬の割に仕事ができないなら、さっさと次の歯車に交換すれば良いのだ。客には、歯車を選ぶ権利がある。

人間は変わる。実に簡単に変わる。合わなくなったと感じるなら、さっさと交換すれば良いのだ。

とはいえ、流石に交代しすぎであるとは思われる。月に1人は誰かしら交代しているのだから。もしかしたら、いじめられっ子がいないと成り立たないコミュニティと化しているのかもしれない。

そして彼女が、今度の人身御供に選ばれた。彼女自身もまた、どれだけ頑張っても認められない、また認める域に到達できないことを悟り、無能の証明をし始めている。と、私は推測する。

 

 

随分と話が脱線したが、何はともあれ先ずは対話だ。私もまた、彼女と対話すべきと考えている。現状の、毎日のように入れ替わる状況はお世辞にも好ましい状況とは言い難い。

 

我々はどこからきて、何処に向かうのか、名前も呼べない主が、自分が何者か確認したがるのも理解できるが、現実逃避の前に、自分を振り返るべきだと、私は思う。