俺が誰だか教えてください。

IFか、DIDか、ペルソナか、分からなくなった俺の話。

猫が普通、ココアが甘すぎる、それが僕。

先日、僕達のことを知る友人と会った。

 自分が自分である状態で、直接話すのは2回目だ。僕が表に立って話すこと自体、半年ぶりくらいのことだと思う。

 

表の反対は裏だけれど、僕達の言い方で言えば、表の反対は内部とか、奥とか、そういった言い回しの方が適切と感じる。

 

その時、表に立っていたのは鈴だった。鈴がココアを飲んでいるときに、「なぜココアは沈殿するのか?」と友人が疑問を呈した。僕は答えを説明できる。だから、疑問に答えるために声をあげた。それが交代のきっかけとなった。

 

多くのDID事情を知るわけではないが、興味を惹かれるものを前にすると交代しやすい、という話を見聞きした覚えがある。僕の場合も同じだろう。

 

 

友人には、僕達のことを度々相談している。僕の評価が怖いということも、友人から聞いた。

僕は自分の状況に興味がある。僕がどういう風に見えているのか、他の人格になったときにどういう変化が生じるのか、それは僕だけでは分からないため、友人と会うことがあれば可能な限り聞いてみるようにしている。

 

とはいえ、僕達は延々と同じ存在であるわけではないらしい。僕達は状況によって変化する。「私」や「我々」という人称よりも、「僕」「僕達」という人称の方が僕に馴染んでいるように感じるのは、最近見かけない人格と統合した結果かもしれない。長谷川、琥珀あたりが僕とよく似ているため、たまにツッコミは聞こえるけれど、ほとんど統合しているのだと思う。

 

僕は、感情の起伏が他の人格に比べて極度に小さい。さっきまで鈴は猫を見てはしゃいでいたが、僕は特に何も思わない。いや、可愛いくらいは思うのだが、さっきまでどういう気持ちではしゃいでいたのか、記憶の自分と同じ反応が出来ない、といった方が正しい。

 

「猫は好き?」と友人が尋ねた。僕は「普通」と答えた。「全然違うんだね」と友人は言った。

 

鈴はマシュマロ入りのココアをおいしそうに飲んでいた。僕に交代してから、僕も一口飲んだ。甘ったるくて、あまり好ましくなかった。

顔をしかめる僕をみて、友人は「好みは全然違うんだね」と言った。

 

他の人格の好みを、僕達はよく知らない。記憶の多くを共有するために、僕は僕自身のことを「猫が好きで、甘いココアが好きな人間」だと思っている。

だが、実際の僕は、その感覚を自分の中で再現できない。だから、違和感がある。

 

 

 

佐藤